ミロは、まだ医務室にいた。既にかなりの時間が経っているのは知っている。恋人を待たせているのが、だが若干、アーリクと怪我人のことが気になった。
一方のアーリクは、何やらジョフロアに指示しながら、薬を準備している。
ミロはぼんやりと、眠る男をみやった。
歳はミロの兄より少し若い。30半ばといったところだろうか。刀傷の入った厳つい顔はいくらかやつれ、今は痛々しい痣と貼薬の布にかなりの部分を覆われている。不揃いの金髪は、こうして見比べると、アーリクよりずっと濃い色をしていた。
ふと、男の瞼が震え、ゆっくりと開いた。現れた水色の瞳に、徐々に焦点があっていく。
「、セリョーシカ!?」
直ぐさまそれに気付いたアーリクが、寝台に駆け寄った。そのさまに、ミロは本気で面食らった。
こいつでも、こんなに慌てることがあるのか、と。
「……ここ、は?」
低い声が紡いだのは、ミロにもわかる砂漠の言葉だった。
「朱の天蓋の隊商宿だ」
声をかけられ、男が、ゆっくりとアーリクを見る。
「私がわかるか、セリョーシカ」
「……旦那、様?」
信じられない、といった顔で、男が目を見張った。
「やはりお前だな」
ふっ、とアーリクの声音が和らぐ。
「だ、旦那様、……っ!」
おもむろに身体をおこそうとして、男が激痛に呻いた。
「いけません、まだうごいちゃ」
ジョフロアが、彼を寝かしつける。しかし男の視線は、アーリクに注がれたままだ。
「旦那様……よくぞ、よくぞ今日までご無事で……」
「お前こそ、よく生きていた」
話のわからないミロとジョフロアは、目を白黒させた。
「このようなところをお見せしまして、ご無礼を……」
「話すな、お前は骨折している」
「しかし旦那様、何故」
「話すなといった」
アーリクの口調に、男は口を噤んだ。代わりにミロが、彼の質問に答えた。
「ここは隊商が泊まる宿の医務室だ。路地裏に倒れてたのを、運ばせてもらったぜ。こっちの兄さんがあんたを手当して、こいつがいまきたところ。」
男は何か言おうとしたが、すぐに口をとじ、小さく頷いた。そしてはっとして、何かを探すように辺りを見回した。
「ん、どうした?」
「御仁、少女は……小さな少女をみなかったでしょうか……」
「少女?」
流石にアーリクも、彼が発話するのを止めなかった。
「共に、人買いから逃げ出したジンの娘が、側にいたはずなのですが……」
「人買いだと?」
思わず口を挟んだアーリクは、皆まで言う前に、言葉を切った。
探しても見つからないわけだ、と呟くアーリクに対し、男はただ、申し訳ございませんと詫びた。
ミロは二人のやりとりがすんだのをみて、有りのままを答えた。
「俺達が見つけた時、あんたはひとりだった。悪いが、女の子はみてない」
「……っ、探さなくては……っ」
身体を起こそうとした男を、ジョフロアがまたしても止めた。
「無茶ですよ、絶対安静です」
「しかし」
「くどいぞセルゲイ」
アーリクの静かな一喝に、男は大人しくなった。
「ミロ、お前が探してこい」
「え?」
自分に話が振られるとは思っていなかったミロは、思わず間抜けな声を上げた。
「どうせ暇だから、こんなところにいるんだろうに」
いや、俺用事が、といいかけて、ミロは黙った。アーリクの目が、お前の予定は聞いていないと無言で語っていた。
「厳しいなあ。おい、ジョフィーもついてきてくれるか?」
「ジョフロアです」
懲りずに律儀に名前を訂正しつつ、ジョフロアは同行を快諾した。
「ガキの足じゃ、大してとおくにはいけねえだろうけど、どこから探すかな……」
「相手はジンですよ、飛べたりするんじゃないですか」
うーん、と考えるミロに、冷静にジョフロアが言葉をかける。
そうなのか、と恐る恐る寝台に目で問えば、男は頷いた。
「うへー、それでこの街中さがせっつーのかよ、まだ地理もよくわかってないのに」
頭を抱えるミロを、アーリクが一瞥する。
「財布はおいていけ」
「あ、イリスに預けてあるからそれは大丈夫」
返事の代わりに、呆れを含んだ視線が二つ飛んできた。
「それで、その子の特徴は?」
ミロは男に問いかけたところ、聞き覚えのある足音がぱたぱたと聞こえてくる。
ジョフロアが、その足音が部屋にたどり着くと同時に、扉を開けた。
「あれっみんな揃ってどうしたのー?」
「よぉ、ポチセンセ」
ミロが挨拶すればポストーチが万遍の笑みで答えてくれた。最近髪を切った彼女は、急に大人びて見えた。
そこに、ポストーチの陰から、ひょこっと顔をだす姿があった。どうやら小さな子供だ。ポストーチの服にしがみついているから、部屋の中からはよくみえなかった。
「ポストーチ先生も、人を拾ったんですか?見かけない顔ですね」
「も、拾った?」
今までの経緯をしらないポストーチが、首を傾げる。
気にしないでくださいとジョフロアが付け加えると、彼女は不思議そうに笑った。
「さっき会った子なんだけど、同行している人が怪我して、お医者さんを探してるみたいで。誰か手伝ってくれないかなって……先生一人じゃ、何かのとき患者さん運べないからっ」
なるほど、と答えて、ミロははてと思い当たる。なんだか、つい先刻遭遇した情況に酷似している。
人が壁になって、中がみえていなかったのだろうか。不意に、少女がポストーチの陰からふわりと飛び上がり、
ミロの脇を抜けて部屋に入ってきた。
「あーっ、グーリャーっ!」
寝台の上の男を見つけるなり、少女が叫ぶ。部屋の中にいたアーリクと男も、彼女がみえていなかった様子だ、だが声をきいて、ただ少女を見やったアーリクに比べ、男の方は驚き、安堵の表情をみせた。ふわりと寝台に飛び乗ろうとした少女を、とっさにミロの腕が掴む。
「グーリャ!よかったあ、いたぁ」
「ああよかった……無事だったか……」
ミロに捕まえられたまま、少女がばたばたと手足を動かす。
「グーリャ、大丈夫?大丈夫?私グーリャが痛そうだから、お医者さん探してたの!」
「離れるなといっただろう……まったく、また奴らに捕まったのかと……」
また飛び出した新しい固有名詞に、ミロはこの男の名前はどうなっているのかと呆れた。
「セリョーシカ、それくらいにしろ。君もだ、グーリャは酷い怪我をしている。あまり喋らせないでくれ」
「はぁい……」
アーリクが諭すと、少女は大人しくいうことを聞いた。静かになったのを見計らって、ミロはゆっくり、少女を床に下ろした。男も、それきり口を噤んだ。
全く状況を把握していないポストーチが、あれ?患者さんって、その人?と、きょとんと寝台を見つめた。
「すまないポストーチ、話が見えていないとは思うが……ちょうど、お互いの捜し人が合致していたようだな」
「え?あ、はい!それならよかった!ですねっ!」
よかったよかったと、ポストーチが笑った。
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