【小咄】男の身嗜み

久々に文章完成させたので。
ムハンナドさん＠Nasatoさんお借りしました。


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風のない夜だった。
いつものように恋人に付き合った後、彼女を部屋に送り届けたミロは、彼女の姿が見えなくなってから、ふと酒が飲みたくなった。
この時間では、部屋に戻っても同室の少年護衛が寝息をたてているころだろう。寝息を聞きながら狭苦しい部屋で一人酒盛りというのも、粋じゃない。ミロは隊商宿の中にしつらえられた休憩所に足をむけることにした。あそこなら、酒が出る。

途中、馴染みの護衛の姿が目に留まる。クフィーヤで頭を被った長身は、ムハンナドだった。
ミロは部屋に帰るところであろうムハンナドに足早に近づき、彼が振り返るより前にがしっと肩をつかんだ。
ゆっくりと振り向いたムハンナドの迷惑そうな表情に気づかないかのように、ミロは彼に笑いかけた。

「よおナド、帰りか？」
「そうだが」
「よし、一杯つきあえ。一人じゃつまんねえ」

はぁ、と嘆息しながらも、ムハンナドは一杯だけだぞ、と呟いた。付き合いが良いのは良いことだとばかりにばしばしと肩を叩けば、ムハンナドは眉間の皺をより深めるばかりだった。



広々とした休憩所は、流石にこの時間だ、人がほとんどいなかった。
ミロは端の席を陣取り、酒を注文する。ムハンナドはチャイを頼んだ。

不意にミロが、ムハンナドに声をかける。

「ところでお前香変えたのか？」

ムハンナドは細い眼を少しだけ見開いた。

「よく気がついたな、この時間では、もうほとんど薄まっているとおもうのだが」
「鼻はいいんだぜ」
「犬か」

だれかにもおなじこと言われたな、とミロは笑い、そしてああ、とおもいだしたように膝を打った。

「なんだ突然」
「俺も香水、切らせかけてたんだった。移動の前に仕入れちまわねえとなあ」

以前隊商に参加していた商人から買った香水は、もう数回分しか残っていなかったのだった。
かいたそうにも、あの商人はもういない。気に入ってたんだけどな、あれ。

「そういえば、お前もいつもつけているな、香水か？」
「そうそう、身嗜み」

にこりとして、ミロは服に付いた赤い房を指で軽く揺らした。薄くなってはいるが、ふわりと伽羅が香る。
香水を染み込ませるためのこの房―ファラーハーは、どこかの街で偶然見つけた装飾だったが、便利で気にいっていた。

香がなくても死にはしない。だが髭をあたることと香水をつけることはミロにとって毎朝の日課だ。
一日くらい槍を振るわないのはなんでもなかったが、その二つを怠ることは気分が悪い。死にかけている緊迫した状況ならまだしも、そうでなければ無精髭も、香りに気を使わないことも、堪えられないくらい嫌いだ。
こう見えてこの護衛は、自分の身仕度にはかなり気を使う性分だった。

「で、どこの店だよ。こんな小さな街にあんたの気に入る洒落た店なんてあったのか？」
「店というより、隊商にいる商人から購入した」
「お、そりゃ好都合。移動中でも買えるじゃねえか。で、どうなんだ？」
「この間滞在した街の姫にも献上していたらしい、それなりなんじゃないか」

ムハンナドは、これで案外質にこだわる性質だ。彼がこういうのであれば、そう悪い品を揃えた商人ではないのだろう。

「明日どいつなのか教えてくれねえか？午後は非番なんだ。あんたは？」

一拍の間をおき、残念ながら非番だ、とムハンナドが呟いた。渋い顔をした彼に、じゃあ決まりだと笑いかけながら、ミロはようやく運ばれてきた酒を手酌で自分の杯に注いだ。ムハンナドにも飲むかと瓶を翳すと、軽く手で制された。
間をおかず、彼の前には湯気をたてる茶が置かれた。

「っと、飲まないんだっけか」

それではしかたがないと、ミロは空に向かって杯を軽く掲げ、酒を一気にあおった。なかなか美味いラクだ。杯を卓に置くなり、次の一杯のために瓶に手をやると、一杯だけといったろう、と正面から苦々しい声がした。

「だって、あんた飲み終わってねえし」
「……お前が一杯で済むわけもなかったな」

その通りだった。

「しかし、酔わないのに酒が好きというのも、不思議なものだな」

素朴な疑問を浮かべるムハンナドに、ミロは万遍の笑みで答えた。

「美味いもの飲んでなにがわりぃんだよ」